学生時代の私は特に目的のない飲み会が嫌いだった。
第一の理由は酒に弱いから。
もうひとつの理由は金がもったいないと思っていたから(下戸はパカパカ飲むヤツの酒代も負担することになる)。
呑んですぐションベンになり便所に流してしまうものに余計な金を払いたくなかったし、ダラダラ呑んで次の日いつまでも寝てしまって時間をムダにしてしまうことも嫌だったからだ。
(但し好きな女の子と行く場合は別である)
そんなことができるのは親の金で大学に通えるブルジョワが時間とお金の価値を理解していないからだ、とまで思っていた。我ながらヒネくれた潔癖な考え方である。
貧乏育ちの私は、物心ついた頃から欲しいモノをガマンしてガマンしてガマンしてガマンしてガマンしながら、いかに無駄なお金を使わずに過ごすかを追求してきた。
20代になると、いかにして金を稼ぐか増やすか稼ぐか増やすかを考えてきた。
理由はこの忍耐と努力の先に、自由で豊かな生活(例えば行きたいと思ったライブに迷わず行く、イケてる!と思った服を迷わず買う、家族がやりたいと言ったことは迷わず実現してあげる)が待っていると思っているから。
最近考えること
少し前に気づいたことだが、長らくそんな生活をしていると「スキか/キライか」「やりたいか/やりたくないか」だけでシンプルにお金を使えなくなってくる。
もともと物欲は多くない(ガマンしてただけかもしれないが)方だが、最近はこれに拍車をかけて物欲が乏しくなってきた。
先の忍耐/努力の結果、そこそこ使えるお金が増えてはきたが、ホントに買いたいモノは大してないのである。
いや、無いというより何が欲しいのか分からなくてなってしまった、という方が正しい。
モノ/経験にお金を使うハードルが異常に高くなってしまったのである。
世の中結構こういう人は多いと思う。
しいて欲しいと言うなら金を守り増やす装置としての不動産と、自分の見識を広めてくれる本くらいである。
だがこれらは効率的かつ有意義な金の使い方を追求した結果、最もパフォーマンスが良い/安定的な投資先として求められているだけに過ぎない。
私の本能が、ハートが求めているものとは違うと思うのだ(それでも不動産と本は数少ない本当に好きなモノである)
このままいくと、自分は本当に好きなモノが分からぬまま、金と不動産だけ持ったつまらない人間になってしまうと危惧するようになってきた。
漫画やドラマで見かけるような、陳腐で愚かな守銭奴になってしまうのでは、と。
そこで考えた
「もっとやりたい事に素直にストレートに金を使ってみる」
という事を実践してみようと思う。
きっと何かしらの気づきが生まれるはずだ。
この気づきについてブログにまとめてみよう。
まだ30歳、守りに入るには早すぎる。
頑張れ、おれ。
END