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アメリカ駐在生活 798日目 "育ち"に関する劣等感

 

生まれ育つ環境

 

 

先日同僚の駐在員らと数人で飲み会をした。

 

アメリカにいたとしても日系サラリーマン数人が集まれば、

 

会社のグチ、組織の問題点、財テク、これから想定される本社の人事などお約束の話題で盛り上がってしまう。

 

その場は完全に絵にかいたようなリーマンがくだをまく、まさに日本の安居酒屋と化す

 

職場のアメリカ人にはあまり見せたくない場面だ。

 

健全なアメリカ人にはあまり理解できない時間の使い方かもしれないが、

 

日々日本のハイコンテクストな「空気(Kuu-Ki)」や日本人独特の「曖昧さ(Ai-Mai)」をくみ取りながら、米国の合理論と戦わねばならない日系会社員のストレス感をナショナルスタッフに説明するのは難しい。まあ、彼らは知る必要もないことだけど。

 

 

同僚らとの育ちの違い

 

今知ったわけではないのだが、私以外の駐在員同僚は8割が帰国子女であることを思い出した。

 

期間の長短に差はあれど、みな親の仕事の都合で海外に居住した経験があるひとばかりであることを思い出した。

 

 

海外居住の経験からの流れで海外駐在に興味を持った、ポジティブな印象を持っていた、いつか自分も、という人が大半であった。そこで言葉を身につけた人も多い。

やはり親御さんもそれなりの大企業で勤めていた、というパターンが大半。

 

 

私はといえば、福岡の決してお行儀の良いエリアとは言えないヤンキー/ヤクザやシングルマザーばかりの地域で育ち、自分の人生で海外に暮らす可能性などほんの一ミリも想像したことがない人間である。

 

 

自分の直系親族内で大学を出た人を見たことがない(実父は高卒、養父は中卒)。

 

だから大学などの高等教育がどのように人生に影響するのか考える機会はあまりなかった。海外留学を経験した地元の友人など一人もいない。

 

 

私の歯並びは矯正しないまま生きてきたのでよろしくない。銀歯もばりばり。

 

 

アメリカ人はみな真っ白のキレイな歯並びだし、他の同僚もみなキチっとした歯並び。

人生で初めて歯並びを気にするようになった。

 

 

 

こういう人生バックグラウンド/育ちの違いを知ったときに、正直少し引け目を感じたことは一度や二度ではない。

 

 

が、あまりその環境の微差については考えないようにしてきた。

 

五体満足で生まれておきながら、

 

「自分にはあれがなかった、これがなかった!だから俺は成功できない」

 

みたいな泣き言を言うのはこの世で最もダサい発言のひとつと思っているから。

 

むしろそういう育ちや自分の能力に関する劣等感というのは、必死で自分を高めようとする原動力・ハングリーさになってくれるのでおいしいな、くらいに思っていた。

 

 

 

 

とはいいつつも、その積み上げてきた"育ち"と

 

その育ちから生み出される"良い思考/習慣"を積み上げてきた奴らに対して

 

劣等感をもつことはある。

 

 

 

あぁ、やっぱり自分は根本の育ちと性根が違うな、と。

 

 

 

こういう育ちの差が、具体的に人生のどこにに現れるのだろうか?

ということは常々関心をもって観察していたところだ。

 

 

文化的資本の格差

 

 

数年前にネットをうろうろしているときにある記事でこの言葉を知った。

 

 

これは自分が社会人になって、たまになんとなーく感じていた周囲との違いに関する違和感を

 

見事に表現してくれた言葉・定義であったのでかなりインパクトがあった。

 

 

子育てをしていて本当に日々感じるが、

 

 

親がどのような言葉を使い、何に関心を持ち、どんなうしろ姿を子に見せているか、どんな問いかけをするかというのは間違いなく子供の価値観や人格形成に大きな影響を与えている。

 

家が裕福だったか貧乏だったか、ということもそうだけど親や親類、育ったコミュニティの常識がその人間の初期設定基盤になるといことは感覚的に納得できる。

 

 

海外旅行やレジャーの楽しみ方、文化や歴史・アートへの関心、健康維持習慣への関心、家にある本の量・内容、他人や社会への適切な距離の取り方、

 

 

 

文化的資本と呼ばれる物事への関心の深さは一般に教養と呼ばれ、人生の質に大きいインパクトがある。

 

 

こういう物事への関心の積み上げが文化的資本とよばれるそうだ。そして文化的資本はある程度親や親族から引き継がれていく傾向があるようだ、当たり前だ。

 

 

何というか、大人になって知り合った同僚や知り合いとの間で感じていたうまく表現できない感覚の違い、

 

 

つまり育ちの差の正体はこれだったのか!と勝手に断定しすっきりした。

 

 

 

子供はわたしの行動をみている

 

 

こういう育ちの差異がいくらかあったとしてそれがなんだ、という話なんだけど、

こういう概念をなんとなく理解しておくだけでも子供への接し方を考えるうえでは有益だと思ったよ。

 

 

子にはお金をかければいいってもんじゃない、

 

 

私たちの日々の一挙手一投足、無意識に行っている言動や姿勢が子供の人生に影響を与えていると考えれば、おれの猫背も少しはシャキッとするんじゃないかな。

 

 

今さら人間は変えられないけど、少しでも子供には良い影響を与えたいと思ふ。

 

 

おわり