米国にきて最も驚いたことの一つがほんとに経済が「インフレ」しているということ。
経済用語としてのインフレーションという言葉を知らない人は少ないと思うが、私にとってインフレとは教科書の中で、もしくは近代史に関する書籍の中にしか存在しない概念・現象だった。
私の世代はまさに日本のデフレトレンドど真ん中の世代である(90年代~00年代に青春を過ごす)。モーニング娘世代だ。
消費において"安いこと(品質の割に)"が最優先の評価基準であり、正義であった。
世の大衆向けメーカーはひたすら原価や人件費を削り、付加価値を増す方向ではなく、一度定着した販売価格をいかに死守するか、というポイントに涙ぐましい努力を積み重ねてきた時代を生きた。
(※このデフレ時代の弊害で私たちは「(価格が)高い」「(価格が)安い」という言葉が本来の意味で使えなくなってしまった)
しかししかし、私がいま暮らすアメリカを含むその他の海外諸国では、インフレというのは日常的に起こっている現象であり、
社会の仕組みは基本的にインフレしていくということを前提に組まれているように思う。
私は仕事柄米国不動産の市場を見る機会が多いため、このインフレトレンドを把握することは非常に重要なのだ。
先月$3.5で買った牛乳が翌月には$4.5になっている(28.6%)。
2年前まで$2/ガロンで入れていたガソリンが$4/ガロンにまで跳ね上がる(2倍)。
昨年40万ドルで売られていた一戸建てが、平気で50万ドルにまで跳ね上がり、それでも買い手が殺到している。
中古車需要が高まり、50,000キロ走行三年型落ちのスバルが、最新モデルの新車より高くなる
アパートには早く入居すれば賃料はそのままだが、入居を先送りすると高くなる。
アパート更新時に大家は平気で10%以上値上げしてくる。
こんなにフレキシブルに、ダイナミックに物価が変化する社会を経験したことがなかった私は、
マジのマジで衝撃だった。
本当の市場経済が機能する社会に感動し感激した。
これがまさに需要供給の法則であり、時間の割引価値なのだと肌で理解することができた。これが米国の常識なんだと。
インフレ社会における預貯金の価値
日本でもインフレのトレンドが消費者の目に見える形で表れてきている時代になったと思う。
あらゆる原材料はコロナ以降劇的に値上がりしており、もはや企業の努力のみでは相殺できず、多くの企業が値上げ(エンド価格転嫁)に踏み切りだしている。
日本社会は"価格が変動する(インフレする)"リスクをこれまで以上に取らねばならない時代に入ってきているのだと思う。
我々デフレネイティブ世代にとっての未体験ゾーンをこれから生きねばならない。
日本の消費者物価指数(年率)(推移と比較グラフ) | GraphToChart
このようなインフレする社会で"貯金"とはいったいどのような位置づけになるだろうか。
これまで我々デフレ世代にとっては現金をひたすらため込み、握りしめておくことはある程度合理的な戦略であった。
株価が下がり続け、待っていれば同品質でより安い商品が出てくる社会であればそれが賢い選択なのである。物価も給料も上がらない中では将来に楽観的になることもできず、とにかくできるだけため込んでおきたくなる。これが今までの日本社会。
しかしインフレ社会では真逆になる。今使わないと将来はより高いコスト(機会損失含む)を払うことになる可能性が高くなる。
必要以上に現金を握りしめておくことは、お金を腐らせている行為に等しく、ひたすら買いだめた食料品を冷蔵庫の奥で腐らせることと同義。
ここ数年政府が国民にやたら投資を推奨しているのは、政策でインフレさせようとしている中、今までのように貯金だけし続けていると将来マジで死ぬよ!
金融商品とかでちゃんとヘッジしとけよ皆の衆、ってこと。
つまりこれからは明確な目的なくお金を貯め続ける行為は"無能"の戦略になるということ。
(※節制し貯蓄をする習慣がダメなのではなく、お金を動かさずため込み続けることが無能)
これが最近アメリカで暮らしながら考えていること。
※うろ覚えだがアメリカの金融機関では、活用できる資金を多く残して手堅く運用をしていると「リスクとってなさすぎ、もっとポジション(リスク)をとらんかい!」と怒られるのだと昔何かで読んだが、米国にいると本当にお金をそのまま置いておくことの機会損失を肌でひしひし感じまくれる。
俺たちモー娘。世代(デフレ世代)、新たな時代のルールに適応しなければならない時が来たのだ。
日本のモー娘。世代よ、もっとリスクをとれ!ポジションをとれ!
何でもいいから投資しろ!新しい時代を生き残れ。
と言いつつも、溜まったお金に一喜一憂する私は完璧なデフレ体質ジャパニーズ。
おわり