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帰省 変わり続けることの喜びと寂しさ

旅立ち



ハロー

 

このたび、渡米前の地元帰省をしました

実家家族や友人と会い、10年経っても変わり映えしない慣れ親しんだホームタウンの景色に触れ改めて色々考えた。

 

 

他人は自分を映す鏡

 

いつも帰省するたびに思うことは自分の地元をみる視点がかなりのペースで変化し続けているということ

 

つまり毎回帰るたびに街や友人、家族の「見え方」が少しずつ変化しているということ(分かりにくいな。。。)

 

故郷を離れ進学や就職した人達はほぼみんな経験すると思うが、

 

あんなに毎日遊んでいた友人らと価値観が合わず一緒に過ごしても居心地の悪さを感じたり、

 

親の未熟な言動にガッカリしたり、

 

自分が通っていた地元小中学校のレベルの低さに大人になって気づいたり、

 

とにかく毎回新たな発見があり、なぜそれに気づいたか自分で分析する作業は大変興味深い

 

家族や友人、環境を鏡にして「自分や他人の何が変化したのか」を知るキッカケになるからだ

 

「他人は自分を映す鏡」

 

なんと含蓄深い格言であろうか、まさにこのことである

 

変化し続けることの喜びと寂しさ

 

みなそれぞれに変化し続ける

それは文字通り物理的細胞の新陳代謝で生まれ変わることでもあり、さまざまな人生経験を通じて精神の形や状態が変化し続けるということ

 

変化することはエキサイティングなことだが、一方で人に不安や恐怖、寂しさを与えるものでもある

 

人は変化を起こそうと、安定したバランスを崩しながら一歩目を踏み出す

 

この一歩目が大変おっくうで恐ろしいものだ

 

人は環境や状態が変わらないことに安心する恒常性を持った生き物なのだ

 

地元の友人らは、仲間が精神的に変化することを好まない

 

いいんだよ、そのまんまでいいんだよ

生ぬるい関係性の中でなあなあにダラダラと生きていることを確認しあいながら、お互いに安心するのである

 

私は友人が好きだが、こういう地方のヌルい関係性が本当に大嫌いだった

 

それも一つの生き方であることは認めるが、個人的にはあまりにも時間を無駄にしていると感じたからだ

 

この感覚の差は一生埋まらない溝となってしまう

 

とても寂しいが、結局人はひとりなのであり、

誰も自分の人生に責任をとってはくれない

 

沢山の人達がこの変化を乗り越えて成長してきたんだろうな。。。

 

10年後の僕はこの日記をみてどう感じるんだろ

 

限られた人生の持ち時間、大切に噛み締めながら生きたいもんだ